
【新品】1週間以内発送 NEOGEOmini インターナショナル版 SNK ネオジオミニ 国際版 アーケード ゲーム機 「ザ・キング・オブ・ファイタ..
【メーカー】:ナムコ
【開発】:ナムコ
【稼働日】: 1979年8月
【ゲームジャンル】:ブロックくずしゲーム
●概要
■ 色彩と進化をまとった名作
1979年8月、アーケードゲーム業界にひとつの転機が訪れる。それが、ナムコからリリースされた『ボムビー』である。本作は、同社が先に展開していたブロック崩し型ゲーム『ジービー(Gee Bee)』の系譜を継ぎつつも、映像表現や得点要素において新たな工夫が盛り込まれたリファイン版とも言える内容だった。
■ カラー化による鮮明なゲーム画面
『ボムビー』のもっとも顕著な特徴のひとつが、画面全体のカラー表示への対応である。前作『ジービー』ではモノクロ表示であったが、本作では視認性を高めるため、背景・ブロック・バンパーに色分けが施されており、プレイヤーにとって視覚的な分かりやすさとエンターテイメント性が飛躍的に向上した。ブロックの種類ごとに明確な配色がなされ、プレイ中の集中を妨げることなく、スコアリングへの戦略的な判断を助けている。
■ やや易化されたゲーム設計
『ボムビー』では、ゲームバランスにも変更が加えられている。プレイ体験が過度にストレスフルにならないよう、ボールの速度やバンパーの反応、そしてパドルの挙動に至るまで微調整がなされている。これにより、初心者にも遊びやすく、長く楽しめる設計となっており、当時のゲームセンターでの稼働率にも貢献した要素のひとつである。
■ トップブロックと“隠されたバンパー”
本作最大の仕掛けは、画面の最上段中央に配置された「トップブロック」にある。このブロック群をすべて破壊することで、下に潜んでいた“赤バンパー”が姿を現すというギミックが仕込まれている。このバンパーは他のバンパー(黄色)と異なり、一回の接触で1000点という高スコアが得られる非常に価値あるオブジェクトであり、ハイスコアを狙うプレイヤーにとって重要なターゲットとなっている。
■ 赤バンパーの出現と爆発演出
赤バンパーが現れた後、さらなる条件を満たすことで本作は一層ダイナミックな展開を見せる。画面下にあるパドル(ボールを跳ね返す操作部分)でボールを特定回数レシーブすることで、赤バンパーが突如として大爆発する。この爆発は単なる演出ではなく、ゲーム画面の状態を一変させる効果を持つ。トップブロックと、それに隣接して並んでいた「バリケードブロック」と呼ばれる緑色のブロックが、全て再配置されるのである。
■ 復活する障害物
赤バンパーの爆発によって復活するブロック群は、ゲーム進行に大きな変化をもたらす。これにより、一度攻略したはずのエリアが再び障害として立ちはだかり、プレイヤーは再びブロック破壊を余儀なくされる。このリセット的構造が、スコアアタックゲームとしての持続性と緊張感を生み出している。戦略の練り直し、集中力の再配置、そして爆発による爽快感。この一連の流れが『ボムビー』の大きな魅力となっている。
■ 遊び方の幅を広げる2パドル制
『ボムビー』ではプレイヤーが操作できるパドルが2つ存在する。画面の下段に固定された「メインパドル」と、中段付近を左右に移動する「セカンダリーパドル」である。この2つを使い分けながらボールの軌道をコントロールし、バンパーやブロックを狙い撃つ戦術が求められる。とくに、赤バンパー出現後の状況下では、的確なパドル操作が高得点への鍵となるため、プレイヤースキルが如実に反映される仕組みとなっている。
■ スコア重視のゲーム構造とリプレイ性
『ボムビー』の設計は、いかに効率的に得点を重ねるかを軸に展開されており、各種バンパーの得点差や、ブロックの再配置などがゲームの駆け引きを豊かにしている。黄色バンパーが10点もしくは100点という低得点であるのに対し、赤バンパーが1000点という設定は、プレイヤーの焦点を一気に一点集中させる要素として働く。加えて、爆発後の復活という再挑戦性の高さは、何度でも遊びたくなる魅力を持ち合わせている。
■ シリーズとしての進化
『ボムビー』は、その前作『ジービー』の持っていた基本構造を土台としつつも、プレイヤーへの訴求力を高める工夫を各所に施した進化版である。見た目の変化だけでなく、操作感、得点システム、ゲーム展開の多層構造化など、1970年代末期のアーケード市場において、独自の個性を持って存在感を放った一作となった。
■ ブロック崩しの新章を開いた異色作
『ボムビー』は、単なるブロック崩しというジャンルにとどまらず、「仕掛け」や「爆発演出」、「スコアの心理操作」を通じて、プレイヤーに忘れがたい印象を与えることに成功したタイトルである。ナムコのアーケードゲームにおける実験的かつ挑戦的な試みの一例であり、現在では知る人ぞ知るレトロゲームとして、当時を知るゲーマーの間で語り継がれている。
●ゲームの魅力とは?
■ カラーで蘇るビジュアル革命:『ジービー』からの脱却
『ボムビー』の最大の特徴は、モノクロであった『ジービー』から一転、フルカラーによってゲーム画面が華やかに生まれ変わった点にある。画面上を跳ねるボール、煌めくバンパー、整然と配置されたブロックの数々――これらが色彩を持ったことで、視覚的な楽しさが格段に増し、プレイヤーの没入感も一段と深まった。
デジタル技術の限界に挑戦したかのようなこの演出は、当時のプレイヤーにとって、まさに“動く光の芸術”といえる驚きだった。ゲームセンターの奥から漏れ出る眩い光が、「何だこれは?」と人を引き寄せたという証言も数多く残されている。
■ 隠されたバンパーの発見がもたらす達成感
『ボムビー』を語るうえで外せないのが、「赤バンパー」の存在である。これは画面中央上部に隠されており、トップブロックを全て破壊した瞬間に初めて姿を現す。この赤バンパーは他の黄バンパー(10点または100点)と異なり、1000点という高得点を誇る。
この“隠された報酬”の要素は、当時としては画期的だった。ブロックをすべて破壊しようとする戦略がプレイヤーの中に自然と芽生え、ゲームに深みと目標性をもたらしていた。まさに「スコアを稼ぐ快感」と「隠し要素を探すワクワク感」の両輪を体感できる設計だったのだ。
■ 単なるブロック崩しではない、物理感と快感の絶妙な融合
ゲームプレイにおいても、『ボムビー』はひと味違ったアプローチを見せた。ピンボールを彷彿とさせる“バンパー”の存在がプレイ中の緊張感とダイナミズムを演出。バウンドの角度やスピードが絶妙に調整されており、単純な反射神経だけでなく、“先を読む力”や“配置把握能力”も問われた。
また、パドルの操作感にも工夫がなされており、慣れてくると自分の意思でボールを操作しているような錯覚を覚えることさえある。これにより、ただ遊んでいるだけではない「自分の腕前で攻略している」感覚が生まれ、多くのファンを惹きつけた。
■ アーケード黎明期の“教育者”的な立ち位置
1970年代後半、まだアーケードゲームという言葉さえ一般的でなかった時代に、『ボムビー』の存在は、ゲームセンターに足を運んだ初心者たちにとって「ゲームの遊び方を教えてくれる教師」のような役割も果たした。
シンプルなルール、直感的な操作、そして明快な目標設定。誰でもすぐに入り込めて、奥が深い――こうした要素のバランスが絶妙だった。結果として、ゲームに不慣れな人でもプレイしやすく、多くの「初アーケードゲーム体験」を担う存在となっていたのである。
■ 静かに浸透したロングセラー性とナムコ内の存在感
『ボムビー』はド派手なヒット作というよりも、長く愛される“静かな名作”として知られていた。華やかなブームを巻き起こした『パックマン』や『ギャラガ』といったナムコの代表作と比較すれば、その影はやや薄いものの、『ジービー』から続く技術の系譜として、開発者たちのノウハウと情熱が確実に注ぎ込まれた意欲作だった。
ナムコ内でも『ボムビー』は、後年のブロック崩しやパズルゲームの設計に影響を与えた“基礎資料”として高く評価されていた。ゲームデザイナーの中には「『ボムビー』の遊ばせ方に学んだ」と語る者も多く、実に教育的な側面を持った存在だったことがうかがえる。
■ 当時の反応とその後の回顧的再評価
1979年の当時、『ボムビー』はゲーマーの中でも主に“スコアアタック”に熱中する層に好評だった。ランキングを競う文化がまだ形成途上にあったとはいえ、「1000点バンパーの発見」や「連続反射による点数稼ぎ」に快感を覚えるユーザーたちは、その試行錯誤を仲間同士で語り合ったという。
また、近年ではレトロゲーム再評価の流れの中で、アーケード黎明期の貴重な資料として、『ボムビー』が再び脚光を浴びている。博物館やレトロゲー専門誌などでも「隠れた名作」として特集されることが増え、その先進性と堅実なゲームバランスに対する賞賛が見直されている。
■ 控えめながらも確かな軌跡を残した“職人の逸品”
『ボムビー』は、大ヒットタイトルの影に隠れがちな存在ながらも、技術的進化の証として、そして“プレイヤーにゲームの楽しさを伝える”役割を果たした重要な作品である。ナムコがゲームに込めた実験精神と洗練された設計思想は、現在のゲームデザインにも通じる原点のひとつといえる。
時代を経て、あらためてその存在意義が再評価されつつある『ボムビー』。それは、アーケードゲームの源流を知る者たちの記憶に、今なおしっかりと刻まれている。
●感想や評判
■ プレイヤーの声
技術と発見の融合が生んだ中毒性
驚きの構造と探究心をくすぐるギミック
『ボムビー』を実際にプレイした当時のアーケードファンからは、「最初に見た時は『ジービー』の色違いかと思ったけど、遊んでみると全然違った」という声が多く聞かれる。グラフィックがカラー化され、ボールの挙動やバンパーの反応にも変化が加えられていた点が、熟練プレイヤーに新鮮な体験を提供した。
特にプレイヤーの間で話題になったのは、画面上部中央のブロックの下に隠された“赤バンパー”の存在である。通常の黄バンパーに比べ1000点と高得点が得られるため、「どうやって上段のブロックを全部壊すか」を巡る戦略が会話の中心となった。「攻略法を自分で探す面白さ」が絶賛され、「ただの反射神経ゲームにとどまらない知性の介在」が評価されたのだ。
難易度調整への好意的な声
『ジービー』に比べて難易度がやや抑えられていた点も、多くのユーザーから歓迎された。特にゲームセンターに通い始めたばかりの若年層にとって、「やっと1ステージクリアできた」「長く遊べるようになった」といったポジティブな感想が多く寄せられた。
■ 世間の評価
パドル系ゲームの“再定義”としての存在
ゲーム文化への貢献
1970年代後半のゲームシーンは、ブロック崩しやスペースインベーダー系のシューティングなど、“一発ヒット”を狙うタイトルが主流だった。その中で『ボムビー』は、“繰り返し遊びたくなる”というゲーム性を体現した存在だった。プレイヤーの中には「このゲームは単にスコアを伸ばすだけでなく、パターンを考えながら進める楽しさがあった」と語る人も多い。
また、『ボムビー』は特定のブロック破壊後にだけ現れるボーナスバンパーという“発見の報酬”を仕込んだ初期の例でもあり、「初見では分からないが、工夫すると報いがある」というプレイヤーの探求心を刺激した。こうした設計は後年のアクションゲームやRPGにも影響を与えたとされている。
■ メディアの受け止め方
専門誌による技術的評価
『アミューズメントライフ』誌での高評価
当時の業界誌『アミューズメントライフ』では、1979年秋号にて『ボムビー』が特集されており、技術面とゲーム設計の両面で高く評価されている。特に「トップブロック破壊後に現れる高得点バンパーは、視覚的な演出以上にゲーム設計上の意外性がある」とし、プレイヤーのリピート性を考慮したデザインであると分析されていた。
さらに「バンパーの跳ね返りの角度設定や衝突判定が絶妙で、プレイヤーの腕前が如実にスコアに反映される設計となっている」とも評されており、アーケード技術者の間でも「参考にすべき構造」との声があった。
他誌では“地味ながら職人技”の評価も
『ゲームマシン』誌では、「『スペースインベーダー』のような大衆ウケはないが、構造や配置において開発陣の細かい配慮が光る」との評価を掲載。商業的な爆発力には欠けるが、アーケード文化の深化を支えた作品として一定の存在感があった。
■ ゲーム雑誌での位置づけ
注目作ではなく“通好み”
ランキングにおける“静かな支持”
当時の人気ゲームランキングでは『ギャラクシアン』や『パックマン』など派手なタイトルが上位を占める中、『ボムビー』は常に中位〜下位に位置していた。しかし「すぐには廃れない」という持続的な支持を得ており、「分かる人には分かる」系統のタイトルとしてファン層に根を張った。
『ゲーメスト』創刊前夜にあたる雑誌では「玄人プレイヤーに人気のゲーム」としてたびたび紹介されており、隠し要素や得点の稼ぎ方を巡っての読者投稿コーナーも多かった。
■ 長期的な影響と評価の再発見
後年の回顧的評価
レトロゲームブームが再燃した2000年代以降、『ボムビー』は“隠れた名作”として再注目された。アーケードゲームの黎明期にあって、単なる反射神経頼みではなく「構造を理解し、戦略を立てることで高得点を狙う」というシステムが再評価され、「知的なブロック崩し」として評価が高まっていった。
また、ナムコの初期作品を集めたコンピレーション本などでは、しばしば「ナムコらしい実験精神の詰まった一作」として紹介されており、今やアーカイブとしての価値が高まっている。
■ 『ボムビー』が遺した“遊びの奥行き”
『ボムビー』は、その派手さこそ他のナムコ作品に譲ったものの、細やかな設計と発見性の高さで一部の熱心なプレイヤーや開発者に深く刺さった作品だった。派手なヒットには至らなかったが、まるで職人の手仕事のような丁寧なゲームバランスは、アーケードゲームに“繰り返し遊ぶことの喜び”をもたらした重要な一歩であった。
今なお復刻される機会は少ないが、当時のプレイヤーにとって『ボムビー』は、たしかに“遊ぶほどに奥深さを増していく”稀有な存在だったといえる。
●当時のゲームセンターの状態
■ 筐体のディテール
●基本構造と外観
『ボムビー』の標準筐体は、喫茶店にも置きやすいテーブル型と、業務用のアップライト型の二系統が存在した。テーブル筐体は木目調の天板に14インチのRGBカラーモニターを水平配置し、灰皿や飲み物が置けるサイドスペースを確保している点が喫茶店仕様らしい。アップライト版は、黒を基調に黄色と赤のラインを走らせたシンプルなデザインで、基板や電源ユニットを下部にまとめた軽量設計となっていた。
●操作系とインターフェース
操作部は大型の円形ダイヤル(ロータリースイッチ)ひとつだけ。これを右に回すとパドルが右へ、左に回すと左へ動くシンプル設計で、ピンボールのフィーリングをビデオゲームに落とし込もうとした岩谷徹の設計思想がうかがえる。1プレイのスタートは黒いロングボタンで行い、ゲームオーバー後のカウントダウンを示す「REPLAY?」表示が独特の緊張感を演出した。
●カラーモニターとハードウェア
前作『ジービー』がセルフカラー(専用色フィルム)だったのに対し、『ボムビー』はナムコ初のフルRGB表示を採用し、ブロック崩し面をピンボール台のように彩った。基板はTTLロジック中心で、CPUレス設計ながら最大48色を同時表示できるのが強み。当時は“カラーでハネるボール”というだけで客寄せ効果が高かったと言われる。
■ プレイ料金の実態
●100円と50円の二重価格
1979年前後のゲームセンターは、新作が100円、旧作・型落ちが50円という料金体系が一般化しつつあった。『ボムビー』は当初100円設定が標準だったが、わずか1年後には「ギャラクシアン導入時の抱き合わせ」で50円化された店舗も多い。そのため、常連客のあいだでは「100円台はカラフルで派手、50円台は地味だけど味がある」という序列が生まれ、ボムビーは両階級を股にかける“橋渡し”的存在だったと語られている。
■ 1979年当時のゲームセンターの空気感
●「インベーダー後」の盛り上がり
1978年の『スペースインベーダー』狂騒で急拡大したゲームセンターは、1979年になるとブロック崩しやピンボール系のテーブル筐体を大量導入して客層の幅を広げようとしていた。照明を落とし、テーブル面に映るカラフルな画面が“ネオンサイン”のごとく店内を照らす風景は、多くの写真資料にも残っている。
●店舗レイアウトと客層
テーブル筐体は喫茶店やバーにも浸透し、昼はサラリーマン、夜は学生・若者がコーヒー片手に対戦・連コインを楽しむ姿が定番だった。『ボムビー』は二人プレイ時に「交互プレイ」モードが用意され、待ち時間に他人のプレイを観戦する文化を育んだと当時の常連は証言している。
■ 雑誌・書籍・販促物に見る『ボムビー』
●業界誌「ゲームマシン」の記事
業界紙『ゲームマシン』1979年8月1日号では、新作欄に“名古屋展で初披露・ブロック崩しの高得点版”と紹介され、発売元ナムコの担当者コメントとして「ボーナスバンパーで爽快感を強化」と記載されている。同紙10月15日号の広告では、RGBカラーの優位性と筐体の軽量設計が強調され、“大型ヒット『ギャラクシアン』に続くテーブルの決定版”という煽り文句が躍った。
●フライヤー広告と店頭販促
アーケードフライヤーはイエロー地に黒いロゴ、ゲーム画面のスクリーンショットを中央に配置したB5判1色刷りで、裏面にはオペレーター向けに「オールTTL・メンテナンス容易」と記載されている。地方オペレーター向けには、1台購入につき『ジービー』基板1枚無償提供という販促キャンペーンも実施されており、業者の仕入れコスト低減を図っていた。
●同時期の一般誌・ムック
一般向けムック『TVゲーム必勝読本 ’79秋版』では「パドル系カラーゲームの最新形」として2ページを割き、トップブロック下の赤バンパー出現ギミックを“ハイスコア狙いの心臓部”と評した。また日経MJ系の遊技産業記事は「家庭用TVゲームにないリアルな色彩感覚」として、喫茶店導入が売上を押し上げていると分析している。
■ プレイヤー語り継ぐ思い出
稼働直後は「ジービーと大差ない」「地味」といった声も多く、販売台数は低迷したが、のちに『ギャラクシアン』との抱き合わせで再設置されたことで再評価が進んだ。ブログや動画の回想録では「赤バンパーが姿を現す瞬間、周囲のテーブルがどよめいた」「連続ヒットでカウンターがインフレ的に跳ね上がる様子が癖になった」という証言が散見される。
●同時期に稼働されていたゲームなど
★『アステロイド (Asteroids)』
販売会社: アタリ
稼働開始日: 1979年11月17日(北米)
内容の概要: モノクロのベクター線で描かれた宇宙を漂い、小惑星を破壊しつつUFOの襲来をしのぐシンプルながら中毒性抜群の操作感が魅力。慣性とスラスターを駆使して“ゼロG”を疑似体験できる斬新さが評判で、翌80年までに10万台規模のセールスを記録した。
★『ギャラクシアン』
販売会社: ナムコ
稼働開始日: 1979年9月15日
内容の概要: フルカラー表示と編隊飛行するエイリアンのドッグファイト演出で、「固定画面STGにドラマを持ち込んだ」と称賛を浴びた作品。敵が急降下しつつ攻撃してくるスリリングなAIは、後続の『ギャラガ』へと受け継がれる。
★『ルナーランダー (Lunar Lander)』
販売会社: アタリ
稼働開始日: 1979年8月(北米)
内容の概要: ベクターディスプレイとアナログスロットルで月面着陸船を操作し、燃料残量を計算しながら無事着地を目指す硬派なシミュレーター。リアルな物理演算による緊張感がプレイヤーの度胸を試した。
★『モナコGP』
販売会社: セガ・エンタープライゼス
稼働開始日: 1979年11月
内容の概要: シンプルなトップビューながら上下スクロールを駆使し、F1マシンさながらのスピード感で周回路を走り抜けるレースゲーム。夜間トンネルや雨天区間といった演出で、当時としては珍しい環境変化を表現した。
★『ヘッドオン (Head On)』
販売会社: セガ/グレムリン
稼働開始日: 1979年6月頃(北米出荷は同年)
内容の概要: 同心円状の5レーンを走りながらドットを回収し、対向車とのニアミスを避ける“マイカー・チキンレース”。パックマン以前に「全ドット回収」を勝利条件に据えた先駆的タイトルで、79年の日米売上ランキング4位を記録。
★『テイルガンナー (Tail Gunner)』
販売会社: ベクタービーム
稼働開始日: 1979年11月(米国)
内容の概要: 巨大戦艦の後部銃座から星空を背に敵機を迎撃するという1人称視点を採用。ベクター線で手前へ流れる星の“奥行き”演出が、疑似3D体験として語り草となった。
★『アストロファイター』
販売会社: データイースト
稼働開始日: 1979年12月
内容の概要: ウェーブごとに攻撃パターンが変化する宇宙艦隊を撃退し、最後に燃料補給衛星へドッキングするステージ制STG。画面下端に燃料ゲージがあり、細かな射撃判断が求められた。
★『スペースインベーダーPart II』
販売会社: タイトー
稼働開始日: 1979年6月
内容の概要: 前作の大ヒットを受け、誘爆する分裂エイリアンや隠れキャラクターなど“意地悪”な新ギミックを追加。専用カラーテーブル筐体を導入し、喫茶店文化とともに全国席巻した。
★『スペースフィーバー』
販売会社: 任天堂
稼働開始日: 1979年6月
内容の概要: 同社初期のシューティングで、3種類のインベーダーパターンをレバーで選択して遊ぶ“マルチモード”が特徴。カラー型・モノクロ型の2バージョンが存在し、後の『シェリフ』や『レーダースコープ』へとつながる技術試金石となった。
★『ジービー』
販売会社: ナムコ
稼働開始日: 1978年10月
内容の概要: ピンボールのバンパーやスピナーと、ブロック崩しのパドル操作を融合させたハイブリッド作品。スコア倍率を上げるギミックやカラフルなポップバンパーが好評で、その改良型として翌年『ボムビー』が誕生した。
●中古の筐体の使われ方
■ 基板の入れ替えで“別人”へと変貌
最も一般的な再利用の形は、「基板交換」である。アーケードゲームの心臓部は基板であり、それを差し替えることで、筐体の外観をほぼそのままに新たなゲームを稼働させることが可能だった。
特に1980年代初頭には、ナムコやセガの新作、あるいは無名メーカーによる低価格の横スクロール型シューティングゲームやアクションゲームが続々と登場。『ボムビー』筐体のスペックは、そうしたゲームにも適応可能な基本性能を持っていたため、比較的容易に再構成できた。モニターのサイズも14インチ前後と標準的で、操作パネルの改修だけで新しいタイトルに衣替えできた。
いくつかのゲームセンターでは、ナムコ製以外の海外輸入タイトルの日本仕様基板を組み込み、あたかも“最新機種”であるかのような見た目にリフレッシュされた『ボムビー筐体』が稼働していた。
■ “自作ゲーム筐体”への転生も
また、1980年代中期になると、自作ゲームやマイナーゲームの設置を行うゲームセンターも登場し始めた。こうした店舗では『ボムビー』筐体の頑丈さとメンテナンス性の高さが評価され、ローカル開発のアクションパズルやスロット風ゲームなどの実験機として採用されるケースもあった。
特に地方都市の小規模店舗では、限られた予算内で最大限の運用効率を追求する必要があったため、中古筐体のカスタマイズ利用は常套手段であり、ボムビーの筐体はその機動力の高さで重宝された。
ゲーム名を消し、全面に黒のカッティングシートを貼り、操作パネルのラベルも手書きに変えられた姿の『ボムビー』筐体は、元の華やかさを失ってもなお、現場で新しい役割を果たしていた。
■ モニターだけが“部品取り”として流通
逆に、筐体自体は老朽化していたが、CRTモニターだけは健在だったというパターンもあった。『ボムビー』に搭載されていたブラウン管は、ナムコが自社開発と調達を重ねてきた中で比較的高品質なもので、他の筐体への移植用として“部品取り”される例も少なくなかった。
特に横向きに使えるタイプの14インチモニターは、テーブル筐体などでも再利用でき、秋葉原や日本橋などのパーツショップでは「ボムビー筐体から取り外したブラウン管」として出回ることもあった。
■ 筐体そのものが「家庭用筐体」として転売
1980年代末から90年代初頭にかけて、個人ユーザーによる“アーケード筐体の個人所有”が一部で流行する。そうした中、動作確認済みの中古筐体が「家庭用モニター付きゲーム台」として販売され、プレイヤーやコレクターの手に渡っていった。
このとき、ボムビー筐体はレトロ感ある佇まいと堅牢な作りから「リメイクしやすい筐体」として注目され、内部の基板をNEOGEO MVSやPCベースのMAMEマシンに入れ替えられて“家庭アーケード筐体”として第二の人生を歩むことになった。ときには木製のサイドパネルをリペイントされ、カフェバーなどのインテリア要素にも取り込まれるほどであった。
■ 稀に“記念展示用”としての保存も
ごく少数ではあるが、『ボムビー』筐体をそのままの姿で保存し、店舗の片隅に“記念展示”として置いているゲームセンターも存在した。ナムコ作品を多く取り扱っていた店舗の一部では、稼働当時の思い出をそのままに、電源は入っていないながらも“昭和の空気”を伝える装置として展示されていたという。
中には、かつてのプレイヤーが訪れて写真を撮る“ノスタルジースポット”となっていた例も報告されており、単なるゲーム機の枠を超えて、記憶と感情を保管する装置として機能していたのだ。
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